エネルギー
2005年11月20日何らかのエネルギーに流されることが多い、とよく思う。
そのエネルギーには、ただ身を任せるしかない。
特に他からのエネルギーを感じることもなく自由に動き回れる時もあれば
どうもがこうが巨大なエネルギーに押し流されてめまぐるしく景色が変わる場合もあ
る。
そんな時は怖くなる。
大きく環境が変わる時
新しく知り合いが増える時
大抵何かのエネルギーに流されてる時だ。
ちっぽけな私はそんなエネルギーを持ち合わせていない。
私にできるのはせいぜい浴槽の中に波を起こすくらい。
なんてちっぽけ。すぐおさまっちゃう。すぐ飲み込まれちゃう。
誰の人生にも影響しない。誰の記憶にも残らない。
ぽちゃぽちゃぽちゃぽちゃ音がむなしく響くだけ。
自分の中にエネルギーが溢れかえっていて
自らの足で走り回っていたと思い込んでいた日々でさえ
実は外からのエネルギーに流されていただけなのではないかと思う。
親にいろんな部分が似てくるのも「家族」というなのエネルギーの仕業だ。
似たくないと思っていても気づけばそこに自分が居たりする。
そう、お姉ちゃんを見ていると思わずには居られない。
そのエネルギーには、ただ身を任せるしかない。
特に他からのエネルギーを感じることもなく自由に動き回れる時もあれば
どうもがこうが巨大なエネルギーに押し流されてめまぐるしく景色が変わる場合もあ
る。
そんな時は怖くなる。
大きく環境が変わる時
新しく知り合いが増える時
大抵何かのエネルギーに流されてる時だ。
ちっぽけな私はそんなエネルギーを持ち合わせていない。
私にできるのはせいぜい浴槽の中に波を起こすくらい。
なんてちっぽけ。すぐおさまっちゃう。すぐ飲み込まれちゃう。
誰の人生にも影響しない。誰の記憶にも残らない。
ぽちゃぽちゃぽちゃぽちゃ音がむなしく響くだけ。
自分の中にエネルギーが溢れかえっていて
自らの足で走り回っていたと思い込んでいた日々でさえ
実は外からのエネルギーに流されていただけなのではないかと思う。
親にいろんな部分が似てくるのも「家族」というなのエネルギーの仕業だ。
似たくないと思っていても気づけばそこに自分が居たりする。
そう、お姉ちゃんを見ていると思わずには居られない。
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